許可を取らないキス

執務の終了間際にまとめて持ち込まれた承認案件の束を、ジュリアスは不本意そうに私邸まで持ち帰った。
本来なら机に残るはずのなかった書類。
革張りのデスクに積まれた紙の角が、照明を受けて冷たく光っている。

夕食は簡単に済ませた。
次々と書類に目を通していくジュリアス。
その背後に、オスカーが静かに控えていた。

「……こちらは研究院の追加予算の再申請です。前回の指摘事項には、まったく回答していませんね」

淡々と読み上げる声に、ペン先が止まる。

「……却下だな」

「次は、ゼフェルの視察報告ですが――ほとんど白紙のような内容でして」

「見なくてもわかる。却下だ」

紙をめくる音だけが、しばらく部屋に続いた。

やがてジュリアスは椅子にもたれ、低く息を吐く。

「……ほぼすべて却下とは。私を承認書類の添削教師だとでも思っているのか」

ぷりぷりと不機嫌さを隠そうともしないその様子に、オスカーは苦笑しながら紅茶を差し出した。

「まあまあ。一息入れましょう」

「……ああ、そうだな」

カップを受け取る指先が、ようやく力を抜いたのを見て、オスカーは照明を一段落とす。
代わりに、ほのかな香りのアロマキャンドルに火を点けた。
甘く、落ち着いた香りが静かに広がる。

「残業、お疲れさまでした。
今からここは、リラクゼーションスペースということで」

「残業、とは……面白い表現だ」

思いがけず口元が緩んだ。その一瞬を逃さず、オスカーは距離を詰める。
指先で艶やかな髪を掬い取り、ためらいなく――唇に、軽く口づけた。

少し遅れて、紺碧の瞳に揶揄うような色が浮かぶ。

「……許可した覚えは、まったくないぞ?」

「却下された覚えも、ありません」

「さっきの書類には、入っていなかったが?」

「では、今から申請いたしましょうか」

「事後申請は受け付けない」

楽しそうに目を細めるジュリアス。

「……では」

オスカーは、もう一度だけ身を屈める。
その美しい桜色の唇に、先ほどよりも確かな意志を込めて、キスを落とした。

「今のが、新規申請です」

一拍の沈黙。

やがて、ジュリアスは諦めたように小さく笑った。

「……ふっ。どこまでも都合のいいやつだ」

拒む手は、最後まで伸びなかった。