「どうした、いつもの坊やらしくないじゃないか」
ある夕刻、炎の守護聖の執務室。
相談があるんですと、突然オスカーを訪ねてきた風の守護聖の様子は、明らかにいつものそれとはだいぶ違っていた。
彼のトレードマークである、爽やかな元気いっぱいの笑顔も今日は見当たらない。
「はあ・・・やっぱりいつもの俺らしくない、ですよね」
ランディは大きなため息をついて、自分のつま先を見つめている。
相談と聞いて、最初は軽い調子でからかってやろうと思っていたオスカーだったが、どうも事態は深刻のようだ。
「何があったか知らないが、俺で力になれることがあるなら・・・」
オスカーの言葉は、最後まで終わらないうちにかき消された。
「オスカー様、どうしたらオスカー様みたいに、どんな女性の前でも、いつでも格好良くできるんでしょうかっ?!」
「はぁ?」
いきなり繰り出された想定外の質問に、大きく面食らったオスカーだったが、すぐに軽く笑って言葉を返す。
「そりゃ、俺はこの宇宙のどんな女性の前でも、いつも完璧なナイトでいられる自信があるからさ。とにかく、まずは男を磨くことだな、ランディ」
ランディはまたため息をついて、小さく言った。
「・・・俺は、オスカー様みたいにはとてもなれそうにありません・・・」
「どうしてそう思う?」
「それは・・・俺なんて守護聖として駆け出しで、ジュリアス様にもみんなにも迷惑ばかりかけてるし、剣の腕前だってまだまだだし・・・それに・・・」
「それに?」
「・・・何にも言えなくなっちゃうんです!」
ランディは下を向いたまま、耳まで真っ赤にしながら叫ぶように言った。
「今日だって、新しいリボンがすごく似合ってて。 君の髪の色にとっても似合うねって、一言言いたかっただけなのに、何にも言えなくなってしまって。 昨日も、廊下で挨拶されただけなのに、俺ってばあわてて転んだりして、ゼフェルやマルセルにも笑われちゃうし。どうしてこうなるのか、もう格好悪くて死にたいくらいです・・・」
真剣なランディを微笑ましく思いながら、オスカーは、兄のように優しい口調で言った。
「それはお前にとって、あのお嬢ちゃんが特別だからさ。 まあ、俺にとってはすべての女性が特別といえるがな - でもなランディ。心から本当に特別に思う人の前では、お前と同じで、俺だって格好悪いこともあるかもしれないぜ?」
「まさか。オスカー様でもそんなことがあるんですか?」
ランディは、信じられないといった眼差しをオスカーに向けた。 オスカーは、そりゃそうさ、とちょっと笑ってうなずきながら、なぜならそれが恋ってものだからな、と付け加えた。
「でも、いつも俺がこんな調子じゃ嫌われちゃいますよね? 少しでも格好いいところを見てもらいたいし・・・」
オスカーはランディの肩をたたいて言った。
「ランディ、よく考えてみろ。 お前がお嬢ちゃんに本当に見てもらいたいのは、少し格好いいお前じゃなくて、あのお嬢ちゃんのことを誰よりも大切に思っているお前じゃないのか?」
少し考えるようにして、はい、とうなずくランディ。 オスカーは続けた。
「自分のことを本当に大切に思ってくれる男を、格好悪いなんて思う女性はいない。安心しろ、俺が保証する」
オスカーの言葉に、ランディは顔を上げて眼を輝かせた。
「そうですね、俺、格好悪かったら嫌われるんじゃないかって、そんなことばっかり考えてました。 オスカー様とお話して、少し自信が持てました! ありがとうございます!」
「そいつはよか・・・」
「そうだ! 俺、これからランニングしてきます!! それで、男としての魅力をもっともっと磨きます! やっぱりこういうことはオスカー様にご相談するのが一番ですね! オスカー様、どうもありがとうございましたっ!!」
先ほどまでのどんよりとした雰囲気はどこへやら、爽やかな笑顔をキラキラと輝かせてランディは元気に一礼し、飛び出すように廊下へ駆け出して行った。
古い青春ドラマの主人公のような風の守護聖を唖然と見送りながら、オスカーは、ランニングと男の魅力を磨くことの因果関係について理解しようと試みたが・・・本人が元気になったのでとりあえずいいことにした。
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「・・・心から特別な相手の前では、格好悪いことがあるのなら・・・」
ランディの足音が遠ざかるやいなや、執務室に続くプライベートな空間から響いてくる、透きとおった声。
「・・・私はそなたにとって心から特別とはいえぬのだな? オスカー」
オスカーは肩をすくめると、少し開け放しになっていたドアを通って奥の間へと足を踏み入れた。
腕組みしながらこちらを眺めているのは、長い足を優雅に組み、ソファにゆったりと腰掛けた彼の恋人だった。 その美しい碧い眼には、いたずらっぽい思惑がいっぱいに湛えられているのが見て取れる。
ジュリアスがオスカーの執務室を訪れたのは、ランディの突撃訪問の少しばかり前。オスカーの執務室に続く奥の間は、彼の趣味の品々が集められている。ジュリアスは、そこに最近仲間入りしたアンティークのダーツセットを品定めにやってきたのだが、途端につむじ風のようにランディが押し掛け、瞬く間に出て行った、というわけだった。
「・・・つまり。俺があなたの前でいつも格好良いのが御気に召さない、と?」
オスカーはジュリアスの顔を覗き込むようにして、ソファの隣に腰を下ろしながら言った。
「ああ、気に入らぬな」
ジュリアスは腕を組んだまま、片方の眉を少し上げて、隣のオスカーをちらっと見やった。
オスカーの前では、ジュリアスは時折こういう拗ね方をする。たいていはジュリアスが確信犯で小さなヤキモチを妬いているか、言葉のゲームを仕掛けているかのどちらかだったが、執務中には考えられないそんなジュリアスの意外すぎる一面はオスカーをいつも魅きつけてやまない。 一歩扱いを間違えると彼の機嫌を損ねて余計なことになるので、そこには細心の注意が必要なのだが、そのやりとりがまたスリリングでもあった。
「困りましたね。それでは、多少格好悪くなったほうがよろしいですか?」
「それはならぬ」
「では俺にいったいどうしろと-」
真意を推し量ろうと、オスカーは隣のジュリアスの方へ少し身を乗り出した。 ジュリアスは組んでいた腕をすばやくほどいて、シャープに彫刻のようなラインを描くオスカーの頬を右の手のひらでそっと捉え、ゆっくりと唇を重ねて感触を確かめ ―― そして離れた。
「――?!」
プライベートな空間とはいえ、ここが一応執務室であるという状況からして、思ってもいなかった展開にオスカーは狼狽した。
急に脈拍が上がって、頬が熱くなる。
執務はとっくに終了しているけれど。
ここで?
しかも――あなたから?
その端正な顔立ちに、ありありと困惑の表情が表れているのを見て、ジュリアスは楽しそうに言った。
「そなた、あまり見たことのない顔をしているな」
「――っ。 ジュリアス様!」
完全に意表を突かれ、その場のリードを奪われて、言葉を捜すオスカー。 そんなオスカーを見て、ジュリアスはくすくすと笑って満足げに言った。
「うむ。世辞にも格好良いとはいえないが、そんな顔もたまには悪くない」
・・・ここでこっちから仕掛ければ、お怒りになるくせにっ。
あなたにはお手上げです、と両手を軽く挙げて降参の意思表示をするオスカーに、再び至近距離まで近づくジュリアス。 その手には乗るかと軽く咳払いし、大真面目な顔を作りながらオスカーは言った。
「ここは執務室ですから、このようなことは困りますジュリアス様。 続きをお望みでしたら-」
「私の館だ」
―― 本当に、あなたって人はもう。
気づけばソファからすでに立ち上がったジュリアスは、こちらを見ながら扉のところで微笑んでいる。
・・・わかっていらっしゃるくせに。
こんなにも心焦がれているのに、あなたの前でいつも格好良くいられるほどの余裕が俺にあるとでも ―― ?
「どうした、オスカー。行くぞ」
やれやれ、これじゃ俺もあの坊やと大差ないな。
そう思って苦笑しつつ、オスカーは、ドアの外へと向かった恋人の後を追うのだった。