05. あなたからのキス

「どうした、いつもの坊やらしくないじゃないか」

ある夕刻、炎の守護聖の執務室。
相談があるんですと、突然訪ねてきた風の守護聖。
俯くその様子は、明らかに普段の彼ではない。

「はあ…やっぱりそうですよね」

大きなため息をつき、つま先を見つめるランディ。

最初はからかってやろうと思っていたが、どうも事態は深刻のようだ。

「何があったか知らないが、俺で力になれることがあるなら…」

「オスカー様っ」

オスカーの言葉は、最後まで終わらないうちにかき消される。

「どうしたらオスカー様みたいに、どんな女性の前でも格好良くできるんでしょうかっ?!」

「はぁ?」

いきなり繰り出される予想外の問い。
大きく面食らうが、すぐに軽く笑って返す。

「そりゃ、俺はいつも完璧なナイトでいられる自信があるからさ」

ランディはまたため息をついて、小さく言った。

「…俺は、オスカー様みたいにはとてもなれそうにありません…」

「どうしてそう思う?」

「それは…」

口ごもるランディ。

「俺なんてまだ駆け出しで、迷惑ばかりかけてるし、剣の腕前だってまだまだだし…それに…」

「それに?」

「…何にも言えなくなっちゃうんです!」

ランディは下を向いたまま、耳まで真っ赤にしながら叫ぶように言った。

「今日だって、新しいリボンが似合うねって、一言言いたかっただけなのに、何にも言えなくなってしまって。
昨日も、廊下で挨拶されただけであわてて転んで、ゼフェルやマルセルにも笑われちゃうし」

はぁ…と、さらに大きなため息が漏れる。

「….もう、格好悪くて….消えたいくらいです」

「それは…. お前にとって、あのお嬢ちゃんが特別だからさ」

真剣なランディを微笑ましく思いながら、オスカーは、兄のように優しく言った。

「だがなランディ。心から本当に特別に思う人の前では、お前と同じで、俺だって格好悪いこともあるかもしれないぜ?」

「まさか。オスカー様でもそんなことが?」

信じられないといった眼差しのランディ。
オスカーは、そりゃそうさ、と頷き、なぜならそれが恋ってものだからな、と付け加えた。

「でも、いつも俺がこんな調子じゃ嫌われちゃいますよね?
少しでも格好いいところを見てもらいたいし…」

オスカーはランディの肩をたたいて言った。

「ランディ、よく考えてみろ。
お前が本当に見てもらいたいのは、格好いいお前じゃなくて、あのお嬢ちゃんのことを誰よりも大切に思っているお前じゃないのか?」

少し考え、はい、と頷くランディ。
オスカーは続ける。

「自分のことを本当に大切に思ってくれる男を格好悪いなんて思う女性はいない。
安心しろ、俺が保証する」

オスカーの言葉に、ランディは顔を上げて眼を輝かせた。

「そうですね、俺、格好悪かったら嫌われるんじゃないかって。そんなことばっかり考えてました。
オスカー様とお話して、少し自信が持てました! ありがとうございます!」

「そいつはよかっ…」

「そうだ!」

突然立ち上がるランディ。

「俺、これからランニングしてきます!! それで、男としての魅力をもっともっと磨きます!
やっぱりこういうことはオスカー様にご相談するのが一番ですね!
オスカー様、どうもありがとうございましたっ!!」

先ほどまでのどんよりとした雰囲気はどこへやら。
爽やかな笑顔をキラキラと輝かせてランディは元気に一礼し、飛び出すように廊下へ駆け出して行った。

古い青春ドラマの主人公のような風の守護聖を唖然と見送りながら、オスカーは、ランニングと男の魅力を磨くことの因果関係について理解しようと試みたが…
本人が元気になったのでとりあえずいいことにした。

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「…心から特別な相手の前では、格好悪いことがあるのなら…」

ランディの足音が遠ざかるやいなや、執務室に続くプライベートな空間から響いてくる、低く透きとおった声。

「…私はそなたにとって、心から特別とはいえぬのだな? オスカー」

オスカーは肩をすくめると、少し開け放しになっていたドアを通って奥の間へと足を踏み入れた。

腕組みしながらこちらを眺めているのは、長い足を優雅に組み、ソファにゆったりと腰掛けた彼の恋人だった。
その美しい碧い眼には、いたずらっぽい思惑がいっぱいに湛えられているのが見て取れる。

ジュリアスがオスカーの執務室を訪れたのは、ランディの突撃訪問の少しばかり前。

オスカーの執務室に続く奥の間は、彼の趣味の品々が集められている。
ジュリアスは、そこに最近仲間入りしたアンティークのダーツセットを品定めにやってきたのだが、途端につむじ風のようにランディが押し掛け、瞬く間に出て行った、というわけだった。

「…つまり。俺があなたの前でいつも格好良いのが御気に召さない、と?」

オスカーはジュリアスの顔を覗き込むようにして、ソファの隣に腰を下ろしながら言った。

「ああ、気に入らぬな」

ジュリアスは腕を組んだまま、片方の眉を少し上げて、隣のオスカーをちらっと見やった。

オスカーの前では、ジュリアスは時折こういう拗ね方をする。
たいていはジュリアスが確信犯で小さなヤキモチを妬いているか、言葉のゲームを仕掛けているかのどちらかだったが、執務中には考えられないそんなジュリアスの意外すぎる一面はオスカーをいつも魅きつけてやまない。
一歩扱いを間違えると彼の機嫌を損ねて余計なことになるので、そこには細心の注意が必要なのだが、そのやりとりがまたスリリングでもあった。

「困りましたね。それでは、多少格好悪くなったほうがよろしいですか?」

「それはならぬ」

「では俺にいったいどうしろとーー」

真意を推し量ろうと、オスカーは隣のジュリアスの方へ少し身を乗り出した。 ジュリアスは組んでいた腕をすばやくほどいて、シャープに彫刻のようなラインを描くオスカーの頬を右の手のひらでそっと捉え、ゆっくりと唇を重ねて感触を確かめ ーー そして離れた。

「ーー?!」

プライベートな空間とはいえ、ここが一応執務室であるという状況からして、思ってもいなかった展開にオスカーは狼狽した。

急に脈拍が上がって、頬が熱くなる。

執務はとっくに終了しているけれど。

ここで?

しかもーーあなたから?

その端正な顔立ちに、ありありと困惑の表情が表れているのを見て、ジュリアスは楽しそうに言った。

「そなた、あまり見たことのない顔をしているな」

「ーーっ。 ジュリアス様!」

完全に意表を突かれ、その場のリードを奪われて、言葉を捜すオスカー。
そんなオスカーを見て、ジュリアスはくすくすと笑って満足げに言った。

「うむ。世辞にも格好良いとはいえないが、そんな顔もたまには悪くない」

…ここでこっちから仕掛ければ、お怒りになるくせにっ。

あなたにはお手上げです、と両手を軽く挙げて降参の意思表示をするオスカーに、再び至近距離まで近づくジュリアス。
その手には乗るかと軽く咳払いし、大真面目な顔を作りながらオスカーは言った。

「ここは執務室ですから、このようなことは困りますジュリアス様。 続きをお望みでしたらーー」

「私の館だ」

ーー 本当に、あなたって人はもう。

気づけばソファからすでに立ち上がったジュリアスは、こちらを見ながら扉のところで微笑んでいる。

・・・わかっていらっしゃるくせに。

こんなにも心焦がれているのに、あなたの前でいつも格好良くいられるほどの余裕が俺にあるとでも ーー?

「どうした、オスカー。行くぞ」

やれやれ、これじゃ俺もあの坊やと大差ないな。

そう思って苦笑しつつ、オスカーは、ドアの外へと向かった恋人の後を追うのだった。